RURUKURU RIBERUを設立した経緯を
皆様にお伝えしたいと思います。

沿革

HISTORY


幼少期

父からの教え

都会ながらも風情ある下町、大阪市都島区で生まれる。

父の「新鮮な日本の食材」への強いこだわりの影響を受けつつ食の大切さを学びながら大切に育てられる。

父の格言は

「祝い事など人の為になるものに出し惜しみしてはならない」

「生きたお金を使いなさい」

「ものを大切にするためには安いからといって妥協せずに高くても自分が欲しいものを買うように」

であった。

しかし、そんな尊敬している父が私が7歳の時に交通事故に遭い、母が働きながら子育てを両立させなくてはいけない状況に。

小学校低学年の時期は、母が仕事に出る間は叔母の家に預けられ、食事をさせて貰っていたが夜遅くに迎えにくるまで肩身の狭い想いで過ごすこととなる。

学生時代

環境が自分を変える

甘やかされておとなしかった幼少期から一転し、高学年では仲間を守るためにひいき目で言動している担任とは正義感から正面からぶつかることも多かった。

好奇心も旺盛で、私が知らない新しい場所を見て感じたいたいと思うようになったが、私はおかれている環境から何処にも出かけることができなかった。

そんな中、国内外あちこちに移動し、自立している強い女性への憧れからCA(客室乗務員)を志す。

中高校生になると勉学はもちろん、早く自立する為にアルバイトにも勤しんだが、そんな生活の中でも小学校の時に掲げたCAになる夢はかわらなかった。

高校卒業後、いつも涙がでるくらい面白い話で笑わせてくれた破天荒で優しい祖母のサポートもあり、国際観光ビジネスを専門的に学ぶことが可能な京都YMCA専門学校へ進学する。

規則で会話は全て英語となり日本語の使用は認めらない状況で、英語が苦手だった私は挫折する。
だがそれでもCAになる夢は諦めることができず、夜間学校で通える富士スチュワーデス学院に通いなおす事となった。

在学中は仲間とともに休みになれば空港に行き飛行機を見ては将来を語り合った。

様々なモノ・コトを知っていきたいという気持ちから、父が好きな日本料理を学ぶために日本料理専門の教室へ入る。
そこでは日本料理の盛り付け、器、日本料理の奥深い繊細な出汁、芸術性など様々なことに感銘を受ける。

そして家計を助けるためヤマトシステム開発㈱に勤め始め、仕事では営業を任され県外に出張も多くなり移動する楽しさ、やりがい、仲間と共に協力する事仕事をすることの楽しさを知る。

働きながらも夢の実現のため夜間のスチュワーデス学校を続け、多忙な生活が続く。

家族

人との出会い

そして時が流れ、24歳で結婚。その半年後、夫の転勤の為、東京に住む。

長男が生まれ保険に加入したことをきっかけに第一生命保険外交員になる。

ここでは素晴らしい上司に出会い、「自分を売りこむ」「人の心を学ぶ」「人の話を聞くこと」「引き出しをたくさんつくること」「上司としてやるべきこと」など、様々な営業の知恵と楽しさを体感する。 

営業に少し慣れ始めた頃、夫の転勤により大阪に戻ることとなり河内長野で念願の家を購入する。

大阪では同保険会社の支店で務めたが今までとは相反したお客様のためにならないものを売ることについて上司と意見が食い違い保険業を退社する。

地域貢献

志を共有する仲間集め

引っ越し後すぐに株式会社ダスキンの営業所経営者から地域貢献活動へのお誘いを受け、これを推進する。

「この地域をよくしよう!素敵なお母さんを作ろう!」そうすることで地域全体が活性化する。という信念のもと、地域生活新聞「おかあさんチョット」の制作に携わり、1万世帯に手配り、人から人への紹介で40人の「すてきなお母さん」を集め、仲間づくりを強化し地域に貢献する4年間を過ごす。

仲間が沢山増えてきた中、「さらにお友達が楽しく遊びに来てくれるような環境づくりをしたい」と思うようになり、
神戸市垂水区に2件目の家を建て引っ越す。
新居では、仕事に没頭した日々を送りつつ、自身の学びとしてジャパンホームベーキングスクール上級コースを習得。

さらに、良い環境を求め、現在の弊社本社所在地となる神戸市大月台に拠点を移動する。

念願の添乗員へ

大切なご縁

大月台に転居してすぐ、CAになるという夢を思い出したこともあり、近くの旅行代理店に直談判で何も資格なしに無謀にも面接に向かう。

そこで言われた「最低、地理検定をもっていたら考える」の一言にスイッチが入り、資格を猛勉強し1年後に旅行代理カウンター業務に勤務することができた。

しかし代理店でのデスクワークへの矛盾を感じていた。

そんなとき、依頼が来ている派遣添乗員会社の社長とご縁をいただく。

添乗員・旅程管理士という仕事に携わる中では

この日の為にお金を貯めてきた人への思い 

このひとときを大切にする為に一人一人の名前を覚えることの大切さ

みんながまだ知らない驚きと知識と笑いをご提供したい!

同じ時を過ごすお客様とのご縁のありがたさ

だからこそ、家族のように心温まる時間をつくりたい!

これが添乗員業務の際に私がいつも思うおもてなしの心です。

全てを決めるのは自分

人生は経験が財産となる

順風満帆に仕事に邁進する中、皆様にとってより良い情報を発信したいという思いから、様々な学びを取り入れていくことで、食の安全の大切さへの関心が今までよりも強くなってくる。

東洋医学、薬膳、食養生を本格的に学ぶ中、食品添加物についての知識も深まる。

幼少期からの父の教え、また目の当たりにした口に入れるものの重要性、食に興味を持ち13年、大切な方々との出逢やご縁があり自分の人生においてみなさまになにができるのか、私の意思で新たなことに挑戦したい。
人として、女性として、母として、自分で会社を設立するということに挑戦したい。

いくつもの選択が必要となる連続の日々、私は自分がやりたいのか、やりたくないのか、心がワクワクすることを選び挑戦すること。やらなかったことで後悔をしないように、人生は経験が財産だと思っています。

人との繋がりを大切にしながら私自身とみなさまが幸せになり、多くの人を健康にしていく事を志として日々活動していきます。